社会人野球

こんにちは!

アップくんです!

私は幼少期から社会人まで野球ばかりやってきました笑

プロ野球選手になりたくて続けていたのですが、

プロ野球選手は夢のまた夢のまた夢のまた夢くらいの世界となりましたが、

社会人まではなんとか野球を続けることができました。

私が今働いている会社は所属していた野球チームの協賛企業ということで、

入社をさせていただきました。

ただすでに怪我をしてしまい、正直生活もあるしとりあえず野球はしたいしで、

選択をしました。

本当に野球選手になりたい、勝負したい、そして勝負できる!となっていれば、

独立リーグへの入団にこだわる必要はあったのかなと思いました。

社会人野球チームにもやはり社業と野球をやる時間のバランスが全く異なります。

私の所属チームは月から金までは朝から夕方まで普通に働き、

平日2日間は夜間練習、土日に試合や練習といったスケジュールでした。

今同じ生活をやれと言われたら辞めときますとなります笑

また、私は苦痛で仕方ありませんでした。

自分で選んだ道だろと言い続けましたが、思うように体を動かせず、

練習してんだかなにをしてんだかさっぱりわからない日々でした。

仕事も行きたくない、野球も行きたくない、そんな日々でした。

私は営業職に就いており、電車で1時間はどこに行くにしても必ずかから場所に行っていました。

そこから帰って、また電車を乗り継いで1時間ほどかけて練習に向かい、

また1時間ほどかけて、夜遅くに帰る、

そしてまた朝から仕事。

そんな生活を送っていました。

社会人野球をやっていた間印象に残っているエピソードをこのブログを書いている間思い出したので、

紹介します(笑)

私が一年目の時、所属チームはあと一勝で都市対抗本戦というところまで来ていました。

そのくらい強く、私が出る隙はほぼありませんでした。

(たまたま予選で投げて抑えて勝利投手になっちゃった試合もあったのですが笑)

あ、私はピッチャーだったんですね笑

しかし、ほぼブルペンキャッチャーが私の仕事でした笑

もういっそのことキャッチャーをやってやろうかなと思った時期もあったのですが、

都市対抗の予選もずっとブルペンキャッチャー、

また、同じ会社の人が試合を見に来ていただくわけですが、私はキャッチャー笑

試合終わりに応援ありがとあございましたと言いにいくのですが、

意外とキャッチングいいね!など悪気はなかったと思いますが、

当時は自分を含めて頭に来ていました。

よく、選手と社員で同じ会社のみんなで写真を撮ろうなんてなっていたのですが、

私は屈辱を感じすぎて、写真に映らないようにベンチ掃除をしていました笑

ただ、そんな人間がその3年後、

ほぼ監督をやることになるのですから人生何があるかわかりません笑

ただそれには続きがあり、監督的な生活にも限界を感じ、病気になり、野球を失い、休職をして、、と本当に人生何があるかわからない。

そんなところで今回のブログは終わります笑

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