小説ブログ

病気

土曜日は朝から練習であった。

金本先生のところにキャッチボールに行く前、サイドスローに変えずオーバースローのままやってみたいですと伝えた。

理由はその場しのぎのことを言った。緊張のあまり何を言ったかは覚えていないが、まあお前の好きにしたらいいと一言言われたことは覚えている。

はい!と大きな声で返事をしてキャッチボールへと向かった。

改めてピッチャーとしての人生を歩み出した気がした。学年は二年生になっていた。

テスト期間中は部活は休みであった。

たけしは勉強もそれとなりにはやっていた。

土日も休みになっていた。土曜日の朝こうへいがたけしにもし興味があるのならお父さんが昔から通っていた整体師のところに行ってみるかと誘われた。

特に体に不調があったわけではないがテスト勉強にも飽き飽きしてた頃であった。

行ってみるとメガネをかけた男性が受付にいた。予約を取ってた百田ですけどと浩平はどうやら予約をとっていたようだ。

すると奥からおじいさんがおー待ってたよーと笑顔で浩平とたけしを迎え入れてくれた。

「おー噂の息子さんかー」とたけしのことは名前と野球をやっていてなかなかうまくいっていないことはこうへいから聞いていたようだ。

じゃあさっそくうつ伏せに寝てもらおうかなと指示された。

最初は足からほぐしてもらった。

始まって気づいたらはい!おしまい!と声が聞こえた。どうやら詐術中にぐっすりと寝てしまっていたらしい。

とても柔らかい筋肉をしているねえ。お父さんとは真逆だと先生と浩平は大笑いをしている。

怪我をしにくい体だろうから無理をせずじっくりと頑張るといいよというアドバイスをもらった。

浩平はぬきさんカーブを教えてやってくれよと先生に言った。

ぬきさんとは大貫先生の愛称らしい。

「おーいいとも!」と喜んでカーブを教えてくれた。こうへいはプロ野球の世界では外野手としてプレーをしたが、高校生の時はエースで4番だったらしい。

高校の時エースになれたのはぬきさんに教えてもらったカーブのおかげなんだと浩平は自慢げに話した。

そんな大袈裟なとぬきさんは謙遜していたが、丁寧に教えてくれた。

翌日体が軽かった。月曜日から練習が再開された。早速ぬきさんに教えてもらったカーブを投げてみたところ。たまたま後ろを通りかかった金本先生がそれを投げろと鬼の形相で言った。

たけしは「はい!」と大きな声で返事をしたこれがたけしのターニングポイントとなるのだ。

1週間後紅白戦が行われた。たけしは先発してなんとノーヒットノーランを達成してしまったのだ。

7イニングを無安打無死球で投げ切った。相手には木山も佐山もいた。

その2人も完璧におさえてしまった。

その後冬の期間に入るとABCチームに別れて試合を行ったそれぞれヒットを打つと一ポイントバントをすると二ポイントとポイントを多く取った選手がAチームへと昇格できるという設定であった。

たけしはすでに冬の期間に無双していた。練習試合でも好成績を残すことができていた。その為初めからAチームへ抜擢された。

投手は三振を取るとポイントがついたり失点をしなければポイントがついたりととにかく打者を抑えるしかなかった。

たけしは無我夢中で投げた。その結果2試合ノーヒットノーランを達成し、点数は異常なまでに高い数字をたたき出すことができた。

点数発表の時に初めて金本先生が点数を発表した後に、百田は努力をしてきたと思うとほめてくれた。

一年生の時に初めて登板した紅白戦は良かったものの、そのあとは点でダメな成績しか出せず。練習試合でも点差が離れたため、何人もの投手に登板機会があった試合でも、たけしだけ登板の機会はなくただただ走っているだけという日はざらであった。

しかし、コツコツとやることを続けていたし、練習後も小学生の時に通っていた公園で自主練を続けていた。暗くなるまで練習を続けていた。

冬が明けた初めての大会で初めて背番号1を受け取った。木山がずっとつけてきた番号であったが、木山はキャプテンでバッティングがチームで一二を争うほど良かった。背番号3を受け取った。

エースになれなかったら野球をやめる。野球はやめなくてもよい、という未来に変わった瞬間であった。

最後の夏の大会、地区大会でたけしは投げまくった。抑えまくった。地域では少々名の通った投手にまで成長した。県大会にも出場し惜しくも九州大会の切符はつかめずに引退を迎えた。

その時父のこうへいはたけしの試合を見に来ていた。整列を選手がし応援に来ていた親たちに挨拶をする。その際に浩平は持っていたスマホのカメラでシャッターを切っていた。

そこに映っていたのはたけしだけずっと挨拶をした例から顔を上げることができていない写真であった。

浩平はこりゃ高校いっても続けるなと思った。

母のゆかは泣いていた。

お父さん譲りだわとたけしと父の浩平を重ね合わせていた。

たけしがまだ幼いとき、浩平はよくプロ野球選手時代、

家に後輩を連れてくることがあった。

その時に後輩たちはみんな浩平さんの練習への姿勢は見習うしかないですと口をそろえて言っていた。

3年間で成績的には戦力外になっていてもおかしくなかったところ、4年目のシーズンを迎えられていたのだと思う。

そんな浩平の持っているコツコツとあきらめず継続できる力をたけしも受け継いでいる気がしてとてもうれしくなった。

応援の帰り道、夕飯の為に買ったお肉はいつもより少し値段の高いものであった。

以上となります!

初めての試みとして短編小説のような形で書いてみました。

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